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2023年07月07日

久米島仲里間切蔵元跡

久米島「蔵元」2023

久米島仲里間切蔵元跡
「しにんむさん」の美崎っ子が通って行きました。


美崎「蔵元」 1973
久米島仲里間切蔵元跡
 50年前の蔵元。稲刈りの時期で広場は脱穀した稲わらが沢山あります。蔵元の付近は全て田んぼでした。
中庭には琉球赤瓦作りの古い建物があり「教室として使用すぐに取り壊し」コンクリ二階建て校舎がしばらくありました。
写真上のV字型の福木の幹が50年後でも変わっていません。大きくなるまでどれだけの年月が経っているのだろうか。中庭から見る福木は見事です。

久米島仲里間切蔵元跡


「手書き看板」1983
久米島仲里間切蔵元跡
 
 看板の文献によれば竹富島の蔵元と同時期なので、約500年前から施工を始めています。
後に関わっている人達は、
喜久村ケイ賢
喜久村ケイ時
喜久村ケイ聡 「片目地頭代」
親子3代地頭代であり、ケイ賢、ケイ時の代で石垣と建物はほぼ完成していたもよう。1739年
石垣作りも長い年月をようしています。
 三人は他に日照りに備えて真謝、宇根の田んぼに水を引く貯水池「フンゾー池」や用水路を作り、防風林、真謝港も開さくさせています。
久米島仲里間切蔵元跡

蔵元  「役場」
間切  「村」
地頭代 「行政の長」
親雲上 「ペーチン」


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Posted by seasarサバニ at 16:31│Comments(0)久米島、今は昔
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