てぃーだブログ › 久米島ゴバンノアシ › 久米島、今は昔 › ★久米島50年前の畳石★

2023年06月19日

★久米島50年前の畳石★

1973年頃の「畳石」
★久米島50年前の畳石★

 50年前の写真です。当時はまだ、西奥武島に渡るには、まだ橋もなく、渡しを生業にしている人たちがいて、客をサバニとヤンマーグヮーという小船で畳石の近くに渡していました。
写真の畳石の周りは全くの手付かずの感じがします。

 父と中学生の頃、オー島に渡り西側の集落を見学しました。
小さな雑貨店が一軒あり品物が少なく物が貴重だと実感した。
 畑では当時珍しいスイカが沢山作られていて、喉が乾けば水分を補給をする物という記憶があります。水が少なく大変だったと思います。

又、オー島の中学生は竹馬で海を渡る(通学)ことは有名になりました。

西奥武島はイリオー(手前の島)
東奥武島は(太陽サイドだから)アガリヌオーと言っていました。

アガリヌオーを(オーハ島)と言いますが、まだ名前の由来が解りません。誰が解る人がいれば教えてください。ちなみにオーハは(葉)です。関係ないですね。

「通学路アカヒラ」1973
宇根から泊に向かう道路です。
★久米島50年前の畳石★

 一周道路ですがまだ舗装されていません。沢山の学生達がこの道を歩いて中学校に通っていました。通っている車はパン屋さんの車だと記憶しています。
長いこと雨が降らないとコーラルの道路は、車が通った後はすごい砂煙が立ち、オートバイでその後を通ると悲惨でした。
疑問に思っていたアカヒラの(ヒラ)は丘(勾配のある)のことで今は解ります。

旧トマイ、ンナトゥ
★久米島50年前の畳石★
 30年位前に撮った写真です。
ここでよく魚釣りをしました。メインは黒鯛。昼の釣りでは今はいないと思う大きなハゼが沢山釣れました。水も透きとおっています。
45年位前は港の道の向いには食堂があり、釣りの帰りに美味しい(スバ)が食べれました。


















同じカテゴリー(久米島、今は昔)の記事

Posted by seasarサバニ at 19:50│Comments(0)久米島、今は昔
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。